天野 若人 10

(あまの わかひと)


番外編1

「1987年・社会人の天野若人」



「お母ちゃん、会社でコンピュータ使っとるけえ・・・」

― 1987年初夏・・・山陰のある製造企業で ―


 1987年、僕、こと“天野若人”はまぎれもない中年”になっていた。

 1986年(昭和61年)初夏からは、僕は生まれ育った山陰の、電子部品を製造・販売している企業(K企業)の情報システム課長という立場で奉職していた。といっても、本社部門は大阪にあり、事業主体をなす「製造」が山陰にあるという変則的な体制で、工場には月に一度は行くよう心掛けていた。もちろん、工場のシステムを何とかする場合には、工場に詰めることもしばしばあった。

 「聞・聴・尋」といった言い方が、当時の企業・職場ではよく言われていて、仕事を進める上での基本とされていた。僕は前職場(1980年12月~1985年12月)で初めて情報システム課長として担当職位を任されて、仕事の進め方の基本として“見観視覧”という造語を基本としていた。
 併せて、「仕事って、“一通無限”。自分の担当する仕事には一つの無駄や自分にとって無意味なことはない」というのが、自分自身も含む仕事に対する基本にしていた?ように思う。

 人は“5感”(動物かもしれない)で他者を認識し、行動すると言われている。
 人の場合には、見る(視覚)から約60%、聞く(聴覚)から30%、他の3感から10%の割合で行動しているとも言う。
 “きく”については「聞く、聴く、尋く」の“3つの種類”があるとよく言われる。
 人間行動に大きな影響を与える“みる”については、こうした話は聞いたことがなかった。僕にとっての“みる”は“見観視覧”の4つの“みる”なのである。これは、システム関係の仕事をするには、必須要件だと思っていた。

 オイルショックを乗り切った日本企業は「世界の工場」を自他ともに認識し、成長に邁進していた。2大産業は「電機」と「自動車」である。製造パターンは多くの部品を集めて組み立てる形式である。
 SCM(サプライチェーンマネジメント)や「看板方式」等の造語までが日本発で「世界用語」になるほどの勢いだった。これを支える仕組み“生産管理システム”は俗に“ツリー型”と言われるもので、多くの部品を無駄なく、タイムリーに集めて組み立てる生産形態である。そのために生産組立に合わせて必要部品をタイムリーに供給することが重要なテーマだった。この考え方は、現在に至るも「生産管理システム」というとこの種のテーマということになっている。実は、これの仕組みを支える「必要な部品」を製造して供給する「生産管理システム」は全く別物のシステムが必要になっている。当時も現在もこのことは認識、理解されていない!!

 具体的に僕が担当した電子部品の製造・販売について考察してみよう。

 担当していた電子部品は俗に言う“CR部品”であった。メインを構成する機構的な部品と回路の重要部分の半導体の特性によって、調整・制御するのが“CR部品”である。電気製品の中では、主要機構に付随して特性等が変化する(別視点では振り回される)性質である。
 更に電気製品を区別化することで同じ商品でもメーカによって外観を変えたりする。そのことで、製品に装着する際の取り付け形状が変わってくる。
 こうした市場要求から性能的には同じでも部品の種類は異なる結果になる。
 その結果、最終製品になる“CR部品”の数は想像を超える数になる。
 もともとの素材(数種類、多くても10種類程度)は少なくて、上記の要件を満たすために最終製品(電子製品)は顧客別、時には製品別に異なる電子部品を提供する必要があり、結果、数万種類にもなる。

 僕はこうしたモノづくり形態を「扇状型生産方式」と勝手に言っていた。
 多くの部品を集めて製品を組み立てていく生産方式と、少ない材料をどんどん細分化して多くの種類に作り分けていく生産方式とでは、生産管理の課題等が180度違うことは理解できると思う。残念ながら「扇状型生産方式」について、理解者にはいまだに遭遇していない。説明しても理解・賛同はない。
 K企業の生産管理システムでは本条件を踏まえたものにしていた。製品(電子部品)の本体ともいうべき“素子”を造る計画は月単位(マンスリー)計画での生産、最終形状までの生産計画は顧客注文を引き付けて週単位(ウィクリー)計画と、2段階の生産計画で、月に5回もの生産計画を作りながら生産・販売をしていたのである。
 大変な労力を要していた。80年代後半にはバブル崩壊の兆しもあり、各企業の収益力は低落傾向に入っていたが、K企業の経営結果は20%以上の利益を確保するというすごい会社でもあった。

 K企業では照明器具に使う製品も製造・販売していた。業界自体は新たな製造方式を使うほどの市場規模ではなく、旧態式の製法(人手主体の組立主体)で製造・販売するしかなかった。絶縁体(フィルム)と電極箔とを人手主体に重ねる製造である。
 製造の主体はパート女子社員(家庭の主婦が多かった。3,40人?)である。有力な地方都市。大半が3世帯家族で教育レベルも高く、資質も高い人達だったと感じていた。

 産業界ではこの頃から品質に関する要求が高まりつつあった(90年代にはISO認証制度が始まる前夜という時代)。単価が10円にも満たない製品でも、不良を出すとその製品が使われた材料はもとより、製造工程に関する状況把握~原因分析~対策まで、対応せざるを得ない状況になりつつあった。この一連の主体作業は“トレサビリティ”といって、「使用した材料から製造工程、検査まで」を製品毎(一個、10円程度の製品です!!!)に調査・分析・対応まで把握することと言われている。

 半年前にこの製造担当者(課長)から上記の時流に対応すべく、新たに製造過程の状況を材料から製造実態までを商品一品毎に把握する仕組みを作りたいと相談を受けていた。
 材料から製造している実態まで現場・現物とその資料である関連証憑をつぶさに自分の目で調べて、課題や問題をざっくりと把握する。この作業は僕のシステム構築の基本パターンである。
 この時、絶縁体・フィルムの在庫が帳簿上で異常に多いことが気になり、現場を調べた。俗に“端材”と言われる、使用された後に残った材料が数多くあり、在庫として計上されていた。その量たるや3か月分にもなるものだった!! 工場のシステム担当者!!!って怒りたいのであるが・・・。

 さらに実態をヒアリング。本商品の受注は1ロット(注文単位)が2700から2800個。3000個取れる材料を材料注文の標準発注単位として、1生産単位にこの3000個作れる材料を使っている。残っている端材材料を使うのは、別ロットの材料使用で、品質的な課題を抱える。都度の生産ロットは新しい材料を使い、材料からくる品質上の課題リスクを低減しているのである。
 なら、端材は、正規の材料在庫から外して別管理が必要ではないか? 今回はこの課題パス・・・。

 前振りが長くなった!! 市場環境や顧客ニーズの高まりで、さらなる品質向上と生産性向上!
 担当課長は新進気鋭の若手課長である。品質に関する市場ニーズに先手で対応したい!
 出てきた結論が、製造現場のパート社員全員に端末機を持たせて、「製造毎に製造状況を報告(入力)させて、製造履歴を把握することに挑戦しよう」ということになったのである。(半年前)

 そうして、設定したシステム開始日は、21日が月曜日になるこの月の21日に合わせて、システム開発を推進してきた。18日(金)でのシステム完成状況は90%程度か? 2,3重要事項の未解決課題もある。(当時、K社は、月の締切りが20日であった。区切りが良い、21日・月曜日の開始)

 完成度を上げるために、時期をずらした場合には、開始日が月単位で計画~生産している「製造サイクル」とはずれる。内容の確認や情報と実体との確認等の、多くの新たな課題が予想されてくる・・・思案した。結果は、予定通りの日程、この月の21日開始にした。

 21日、月曜日10時過ぎ、工場から悲壮な報告を受けた。
「現場作業者からのクレームで製造課長も手が付けられない!! システムの稼働をどうしましょう・・・」
「今から大阪を発って、そちらへ向かう。不具合やブーイング事象は全部集めておいてくれ。どんな些細なことでも・・・」

 製造課長へTELする。
「申し訳ない、トラブルが多すぎたようだ! 今日中には工場へ入って、状況確認し、対応する。1週間は現場社員に迷惑をかけるが、何とかするから、今週1週間時間をくれ!」
「1週間だけなら・・・」しぶしぶ、了解する。

 自宅には、
「帰宅は今週の日曜日の夜になるかもしれない!!」それだけの伝言。また、いつものパターンか・・・かみさん!!電話口の反応である。

 新大阪経由岡山から芸備線で工場へ着いたのは夕刻であった。状況を確認すると30数件の不具合がある。5,6件は致命傷にもなりかねない重要事項!! 実態状況を把握し、現時点の対応及び今日明日までの当面対応、さらに最終見通しを把握する。

 致命傷はない! 気持ちは突っ走ることで決めている。すでに重要事案の2件は解決策・目途は立ち、5,6件の細かな事案も解決策が見えていた。重要事案の一つは、解決策は見当たらない! 作業者の日々の仕事での負担増を強いることになる。今後の商品品質を上げるという面からはこの負担増は理解させ、耐える協力は不可欠になる!! 概要回答を心で整理する。

 22日(火曜日)、僕は、職場の朝会、40数人の前に立って今回の現状を詫びて、30数件もの不具合がある実態を説明した。この1週間は現状で協力が欲しいとお願いし、この間に対応ができなければ、今回のテーマは中止すると約束した。最後に、「現在、順調な事業であるが、市場では品質要求が高まっている。これに対応する“製造トレサビリティ”は必須要件になる」ことを理解するよう念を押すことも忘れなかった。こうした対応ができなければ、事業衰退から撤退になることも最後に追加しておいた。(地方工場では、事業の撤退は死活問題になる。地域作業者はよく理解できている)

 次の日からは職場の朝会で、解決した課題をシステム担当者から説明させた。解決した課題で一日MAX7件まで。問題の中で現場作業に影響が大きいものから解決順位付けをさせ、影響が大きいものから解決するように取組をさせていた。ともするとシステムの立場から解決順位をつけたがる。

 うまくいけるかどうかは2,30%か? システム担当者達は“自信満々”、意気は上がった。製造現場では“眉間にしわを寄せ、思案顔”で現場の確認回りを欠かさない。

 24日(木)、新たな仕組みも4日目になっていた。いつものように社員食堂で昼食中。斜め向こうに例の職場の作業員が職場仲間と食事中である。会話をしているのが耳に入る。
「昨日、晩御飯食べながら、息子に“おかーちゃん、会社でコンピュータを使っとるけえ”って言ったら、“そんなことあるわけないわ”って・・・馬鹿にしてない?」・・・食事仲間に賛同を求める・・・。

 午後一番、いつも通り、課題の対応状況を聞きながら、昼食時の会話を思い出して顔は笑っている。課題も一桁、8点に絞られてきた。重要課題の一つ“A”は、解決方法は無理(腹は決まった)。担当者間では喧々諤々、結論は出ない。
「残っている最大の課題“A”はシステム対応では無理だ! 作業負担が出るが、現場で、対応してもらうしかない。来週初めに製造課長を通して、決定する」
「日曜日までおるといったが、今から大阪へ帰るわ!」・・・皆!!??
「A以外の残課題は金曜日の朝会で説明しておくように」

 4日ぶりに大阪の我が家に帰った。

 翌週28日(月)午後、電話で状況確認をする。特に何もない。

 29日(火)朝一番、製造課長へ電話をする。
「課題だった“A”はシステムでの対応は無理だわ! 悪いけど、現状で運用することにしてもらえないか? 現場の人には余分な労力をかけることになり申し訳ない! システムの人間も1週間精いっぱい頑張ったが今の技術では無理だわ!!」

 製造課長、
「1週間、システムの人も頑張ってくれたので、うまくいった。“A”の件なあ、1週間使って慣れてきているので、あのままで十分だわ!!」
 目論見通りである!

 僕は、どこかで小さい時分の記憶が戻ったような気がした。何かこの風景を体験していたような・・・。

 高校時代、芸術関係の科目選択が必須だった。今なら音楽(カラオケ?)を選ぶところだが、当時は仕方なしに“美術”を選択。美術室に「一以貫之」なる額がかかっていた。後に、論語の言葉だと知る。
 社会人になり、色々な経験をする中から、この言葉を時々思い出していた。

 40歳を過ぎた頃から、部下に無理・難題やしょうもないような“雑業務”をあたえる時、使い出した自分の造語がある。
 どんな些細なしょうもないような雑用にだって、そのことを通して、自分に得る何かは必ずある。
 「一通無限」:やっている全てのことに無意味はない。一つ一つを積み重ねた時に、自分の人生につながる何かがあるはずだ! と。



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