天野 若人 5

(あまの わかひと)


海の人編2


初夏

 1949年(昭和24年)夏、家族は父がいる広島へ引っ越していった。どんな形で見送ったのか、思い出せない。
 祖母が亡くなったときに「わかちゃんは、葬儀場の横で近所のガキ童達と“パッチ”(全国的には“めんこ”?)をしていた」と大きくなってよく言われていた。この時も家族を見送ることもなく、いつものように好きな海辺で遊んでいたのかもしれない。大好きな夏だもの・・・。

 唐鐘漁港は、畳が浦の端から“猫島”にかかる防波堤(右の防波堤)と、砂浜から直接石積みされた防波堤(左の防波堤)とに囲まれて、小さな湾状をなしている。左(陸から見て)の防波堤を“築港”と呼んでいた。
 築港の外は、下府川の河口まで3~4キロの砂浜が続いていた。築港から唐鐘川までの100メートルくらいまでは、民家が砂浜に沿ってあった。唐鐘川以西は、砂浜と松林しかない自然豊かな場所だった。そう、松林と砂浜との境に、唐鐘集落の“火葬場”があった。ある意味では、人が寄り付かない“砂浜”が広がっていたともいえる。

 小学校では、「低学年は築港の外では“泳い”ではダメ!」と一応禁止されていた。咎めたことを見たことはなかった。唐鐘川の5,6メートル沖合には、水深が50センチ程度の場所があった。多分、小川のような川でも、この地方独特の地形から砂が運ばれ、ちょっとした“中州”地帯を作っていたと思われる。ここは、ハマグリ採取やキス釣りをするには最適な場所だった。砂浜と中州との間は、5,6メートル、深さ2メートルくらいの“溝”になっている状態である。

 松林は小学校、国民宿舎ができて、砂浜は海水浴場となっている現状からは、当時は想像もつかない。

 1950年(昭和25年)からは、夏休みの大半は家族の住む広島へ行っていたので、若人にとっての山陰(唐鐘)の夏は、5月の連休(立夏)後から7月の下旬(大暑)までである。
 地形(山口県萩市あたりから島根県出雲市あたりまで)は、北東方向へほぼ直線状に海岸線が伸びている。この地形に添うように“対馬暖流”が北上している。暦以上に、春から夏への季節変化は早いと感じていた。

 立夏を過ぎると、日差しは一段と強く感じてくる。5月も下旬になると、半袖でも汗ばみ、海での水遊びが子ども達の遊びの主流になる。何年生だったか?思い出せないが、5月末頃、あまりの暑さで、畳が浦の奥のほうで、こっそりとガキ童3,4人で泳いだ。何故か?翌日にはばれて、先生からひどく怒られた記憶がある。

 当時の(国分)小学校からの水泳に関する注意事項は2つだった。
  1) 水泳解禁日(梅雨明けで、水温が?度以上?)以降から泳ぐこと
  2) 築港の外では“低学年”は泳がないこと
 1)項は、毎日海水温度を計測していたということになっている。どこで、いつ、誰が? 一度も見たことはなかった。

 伯父夫妻は、僕の日常生活、特に学校に関しては干渉がなかった。かといって、無関心だったわけでもない。伯父は、当時の先端雑誌“少年倶楽部”を買ってくれていた。クラス内でも毎月購入している人はいなかった? 小学校の6年間(伯父夫妻との生活では4年間か)で、運動会や学芸会はもちろん、授業参加日にも、一度も小学校に来た記憶はない。特に寂しかったとか、他人がうらやましかったとかいう印象は、一度も思い出せない。
 外で何をしているかにも興味がなかった?・・・干渉しないことが、この伯父夫婦の主義なのかもしれない。


 3年生(1950年)、5月の連休も終わり、僕の海の季節である。

 “築港の外”へ、探検開始!! 小川程度の“唐鐘川”の終末は、ちょっとしたワンドになっている。如何にも“魚”らしい姿をした小魚が、勢いよく泳いでいる。当時“アミ”は持っていなかった。素手で追いかける。獲れない!! 海には、“カワハギ”のような、動きが緩慢な小魚もいる。ワンドには海の魚もいる。どいつもこいつも、すばしっこい!! 魚獲りはあきらめる。

 唐鐘川までの砂浜沿いには民家があり、漁港内と砂浜との違いはあまり感じなかった。ドキドキしながら、川から向こうへ行くことにする。一人で、ちょっとドキドキする。砂浜に打ちよせる“波”も、何となく大きいような・・・胸のときめきか・・・。

 打ち寄せた波が引く・・・小さいが生き物か??? 砂に潜っていく・・・初めて見る生き物だ! (調べてみて、“ハマトビムシ”というらしい)恐怖心はない!

 波の引き際に、足で砂浜を混ぜ返す! 何か!1センチにも満たない細長い“2枚貝”らしきものも・・・“ナミノコガイ”(これも後で調べて分かった)だ! しかも、いくらでもいる! 人を寄せ付けないような、何となく不気味な風景が、僕の好奇心を爆発させる風景に変化しているのを感じていた。

 波が引くと、すばしっこく走り回る生き物が・・・2~3センチ前後の“カニ”である。速い、速い。縦横に走る・・・流石、8本脚の脚力だ! あとちょっと! 「あっ、消えた!」小さな穴が見える。この中だ! 穴を掘り始める・・・途中で穴は消えて・・・お手上げ。

 夏の日も日暮れ近くになる。敗北感を持ったまま、帰宅する。

 2,3日後、僕は例の砂浜にいる。そう、今日こそは“カニ”を獲るぞ。意気込みはすごい。

 結果は、前回と同じである。考える。カニは、逃げ込んだ巣穴にはいる。砂浜の中で縦横無尽にトンネルを張り巡らしているはずはない?・・・考えあぐねると、白い砂浜に寝転がる。山陰の空は透き通るように輝いている!

 そうだ!! 作業にかかる。カニを追いかけ巣穴に駆け込む。

 その穴に、僕は白い砂浜の砂を入れ始める。入らなくなった時点で、この白い目印をめがけて掘り始める。見事! カニをゲット!!

 何故か、この日はすぐに熟睡が来ていた。
   




天野 若人(あまの わかひと)海の人編3へ進む

天野 若人(あまの わかひと)海の人編1に戻る

はじめに
山の人編1
山の人編2
海の人編1
海の人編2
海の人編3
海の人編4
海の人編5
海の人編6
番外編1
番外編2
番外編3
番外編4


ヒト

前の記事

天野 若人 4
ヒト

次の記事

天野 若人 10