天野 若人 13
(あまの わかひと)
番外編4
「2021年夏・カープ観戦記」
2021年7月8日10時半、僕は、JR学研都市線(旧片町線)・星田駅の改札口で、広島行の切符を購入しようとしたが、一瞬たじろいだ。
「お客さん、新幹線は朝からストップしています」
切符は“売れない!”と目が言っている!!
朝から、新幹線の広島~岡山間はストップしている・・・この情報を知った上で、10時に家を出たのだった。
家を出る時、今から49年前(1972年春)のことを思い出した。
弟の結婚式を、島根の出雲大社ですることになっていた。
1歳と3歳の幼児2人を連れて、家族4人で出席する予定であった。
住んでいる大阪の交野市(大阪と京都の中間で、生駒のふもとに位置する人口約7万人の田舎町)星田駅からは、新大阪経由で新幹線を使って岡山まで行き、在来線の伯備線に乗り換えて行くことになる。伯備線には“やくも”という特急電車が走っていた。当時、山陽新幹線は大阪~岡山までだった。
当時は、JRは国鉄と呼ばれていた。電電公社、郵便等が国のサービス機関であり、職員の大半が組合員だった。民間企業でも賃上げ時期の春には、春闘といってストライキもしていたが、違法とされていた公務員のストも行われていて、中でも国鉄(国労)と郵便の労働運動は、激しいものがあった。国鉄のストライキには、一般市民の反響(生活に直結する普通電車は避けていた?)を踏まえて、在来線の特急電車を止めることがしばしばあった。
この時運悪く、伯備線の特急が“スト対象”になり運休していた。
さらに悪いことには、僕は乗り物(特に国鉄)の切符を事前手配することはほとんどしていなかった。この時もそうだった。
「出雲までの切符が欲しいのですが?」
「伯備線の“やくも”はストで運休しています」
暗に、切符は販売できないと言わないばかりである。
「急用ができて、今日中に行きたいので、とにかく切符を販売してください」
「乗車は保証できませんよ・・・」
“あんたが運転するわけでもなし。さっさと売れ、このうすのろ!” 心の声がする。
兎に角、来た新幹線で、岡山へ。岡山に着くなり、すぐに改札口を出る。そして“伯備線の案内”を探す。
予想通り、“特急・やくも客向けの臨時バスの案内”を見つける。
幼子もせかして、臨時バス乗り場に一番に着く。特急券(今朝買った自由席券)を見せて乗車する。
席は進行方向と午後の西日を考慮して、運転手の後ろの前列である。
バスに弱いカミさんも、運転手のすぐ後ろで、快適な位置。初めて体験する山陽から山陰への縦断バスの旅。途中“人形峠”や、残雪をいただく雄大な大山山麓をめぐる旅程で、退屈することはなかった。
当初より2時間の遅れにはなったが、無事、出雲に到着した時は、さすがにほっとした。
そして、今・・・。
「新幹線、現在は走っていません! それでもいいですね?」
“あんたは心配せんで、切符を売れ!!”(と心で叫ぶ)
ジパングを利用するので、“ひかり”か“さくら”しか使えない・・・。
“こんなあほな人達を相手にしておれない”といった目は、端末の発券機へ・・・。
11時半過ぎ、新大阪駅に着いた。
携帯が鳴る。カミさんからだった。
「TVで言ってるで。新幹線、岡山~広島、雨で不通。広島は大雨で、今夜、野球なんて無いで・・・」
今週月曜日(5日)、今回も切符等の手配からお世話になっている“Mさん”(山口県和木)から、この天候を心配して、観戦のキャンセルの誘いが来る。
この1週間の天候状況や、梅雨の終わりの天候予測は、素人なりに立ててきた。併せて、地形も考察していた。梅雨前線は、山陰まで押し上げられている。しかも、松江あたりまで。梅雨終盤の豪雨。この用語を初めて使ったのは島根県浜田測候所である。梅雨終盤のものすごい雨を称して、“豪雨が襲っています”と、思わずそう報告したと聞いていた。気象変動でこの傾向は一層激しさを増している。
この雨の特徴は、夜半から明け方(昼間の熱された上昇気流の夜半から)の豪雨になる。かなり狭い限られた地域にもたらされるのでは?と僕は見ていた。
この時間(11時)、新幹線は、始発から「広島~岡山」間が不通になっていた。昨日からの天候状況を思い出しながら、スマホで、6時間後の予報もチェックする。
しかし、止まっていた新幹線も間もなく再開し、野球も行われることを確信する。昨年の状態で、カープ球団は疲弊している。この9連戦の最終試合は、何としても行いたい! ポイントは、広島周辺のJR在来線が、全面ストップしていることである。当日券なんて、発行していない。この試合を中止し、シーズン終盤でやっても、そろばんは合わない?
かなりの雨でも、球団は強行するのではないか。わざわざ大阪から来て、雨中の野球応援になるのでは・・・。でも、3年もマツダスタジアムに来ていないし・・・。
以上の要件から推測して、今日のカープ戦はあると確信し、広島行を決行した。
2009年にマツダスタジアムが開設されて以来、「マツダスタジアム応援恒例行事」が続いていた。
だが、“2016年”の黒田や新井の活躍で加熱していた「カープ女子」の異常熱気によって、2019年には切符入手が困難になってしまった・・・。2009年から2018年まで、ちょうど10年間続いていた観戦が、2019年からは中断を余儀なくされていた。
カープは、2018年のリーグ優勝を最後に、チーム力がピークアウトし、2020年のコロナ渦で、野球環境及び野球観戦は一変してしまった。
2021年3月、久しぶりに、広島のカープ応援旧友から、「6月、7月、9月のチケットが手に入った」と連絡があった。マツダスタジアムでの応援の誘いである。コロナワクチンの接種計画も出てきた。6月以降だと、ワクチン接種も終えて外出も可能であろう。参加の回答である。しかし6月の予定日には、まだ1回目のワクチン接種しかできていない・・・残念ながら、6月の観戦予定は×になった。そして、7月8日の観戦である。
手土産を探して買い求め、新幹線の改札口に立ったのは、11時半過ぎであった。この時間にしては客も多い。それ以上に係員が目立つ。そう、客の対応に追われているのだった。
僕は何もしない。掲示板を見るだけである。
12時前に、“みずほ”(新大阪~鹿児島行の“のぞみ”対応)が出るらしい。
岡山行の“ひかり”が、10分後には出ると掲示板にある。まず、これに乗車することにした。
車内の乗客は数えられる程度である。持ち込んだ小説を読んでいるうちに、岡山に着いていた。
西へ行く次の列車は、“のぞみ”と表示される。一応切符に敬意を払い、次の列車は?・・・“さくら”と出ていた。本列車は新大阪12時06分発の“さくら”だった。僕が当初計画した列車だったのだ!!
約30分遅れと表示されている。
昨年予定されていた大学時代の同窓会が、コロナで延期になっていた。大学時代の同窓・旧友F氏と、同窓会の今後をネタに、久しぶりの昼食でも・・・と計画していた。彼は、広島市の東北、約50キロばかり入ったところにある、“甲田”という故郷に住んでいる。在来線は朝から全面運休!! 携帯メールで状況確認をする。彼からは「会おう」と、携帯メールに返事。彼は広島まで出てくる!!
14時過ぎ、広島の新幹線・改札口へと降り立った。F氏、改札口で待っている!!
「在来線止まっとるで・・・どうやって?」
「車で来た」
在来線が全てストップしている状況下!!
「在来線、全面運休で、こんなところしかない!」
14時を過ぎる遅い昼食は、F氏と貸切状態下での、“カレーライス”のささやかな再会・食事会である。全面運休で、飲食店は全て閉店。この1店舗だけが開いていて、メニューはサービス昼食のみ。話のついでに食事をするような状況だったが、これもまたよし。何せ貸切状態。店員も暇そう。昼食は15時まで・・・以降は喫茶だけと看板にある。
15時を過ぎて、珈琲を注文する。16時過ぎまで、誰も来ない! 店員も手持無沙汰のようで、時々お水をサービスしてくれる。帰り際に、彼に5年前に作って持参していた「特製・カープ優勝記念クリアファイル」(少し残していた)を渡すと、すごく嬉しそうな笑顔を見せてくれた。
16時半、僕は新幹線改札口で、今回の野球応援を設定してもらった“M氏”を待っている。在来線の改札口は、封鎖されている。そこを、地元TVクルーらしき一団が撮影し、全面運休の状況?を取材している。
予定していた4人がそろったところで、球場へ向かったのは、17時頃だったろうか?
3年前には、カープのナイターがあるこの時間帯には、新幹線や在来線から赤や白のカープユニフォームを着た“老若男女”が、正に湧いて出ていた!! マツダスタジアムへと続く自動車道も含めて、これらの人で埋め尽くされていた。
それなのに今日はどうだ! ファンは両側の歩道を規則正しく球場へと向かっている。駅を出た歩道の入口では、県の職員らしき人が、“コロナの追跡登録”を呼びかけるビラを配っている。大阪からの僕は、少しだけたじろぐ。
「6月13日には2回目、ワクチンをしているので、堪忍してな・・・」心で謝る。
心配した雨もすっかり上がり、風も少し出てきた。
外野の予定された席(指定席)は、レフト側の、よく“ホームランが来る”場所である。前列から5列目。すごく見やすい! この後ろ側は何もない空間になっている。時々“外の道路から野球観戦している人がいる”といった、立地条件である。雨上がりで、さわやかに近い空気が包む球場で、風が吹き抜ける最高の天候と応援立地条件という結果になった。
今日の観戦者は、広島市内から7人、他は呉、山口県和木町、そして大阪(僕)の、10人の予定だったが、結局、今回の気象状況~JR状況で、広島市内から1人、他3人は市外という結果になった。
18時予定通り、プレーボール。いつも開始にはドキドキするものがある。立ち上がりが不安定な若いピッチャー・高橋、1回は何とか切り抜けるも、2回表、いきなり、ヒット2本でノーアウト1,2塁。2者を仕留め、2アウト、2,3塁。トップバッター・桑原、3ボール1ストライク。ストレートをトップフライ気味に上がった打球は、意外に伸びてきた。“どうだ、どうだ” 意外に伸びた打球は、フェンスをかろうじて越えて、目の前3,4メートルの通路に着弾!! 痛恨の“3ラン”を浴びる!!
守備の“野間”はどうしてた!! 昔の天谷よろしく、“フェンスに上ったら、捕れたで!!” 「VTRで打球と野間の守備を振り返る」ができないのが、実観戦の泣き所である。
さらに、僕自身、野手の動きを追えていない。つまり打球だけを見ている。正に「素人の観戦状況」である。玄人の観戦者は、打球が上がれば、打球軌道を予測して、該当選手の動きを追うはずである。そして打球の軌道予測(落ちる位置)をしながら、大半は該当野手(この場合、野間)の動きを見る。何度観戦し、反省しても、この癖は修正できない!! 素人目は、容易には矯正ができない!
2回裏、カープ4番の鈴木をショートゴロ。わずか、ここまで12球でカープ打線を完封。坂倉も2ストライクと追い込まれるも、ここから4球連続のボールで1塁へ。次打者・林にもボール先行で3ボール、1ストライクとなり、次に投じたチェンジアップを狙い澄ましたように、バックスクリーン右へ会心の2ランホームラン。3回裏は、坂倉の2塁ゴロの間で、同点に追いつき、2,3塁に林に回るも凡退。同点で回は進む。
同点のまま、試合は終盤へと差し掛かっていた。8回表もフランスアが2者三振の完璧な形で、裏へと進む。この流れに沿って、林がヒットで塁に出る。後は続かず、2アウト、2塁で、代打は長野。初球をいきなり強振する。ライナー性の打球だ。1点は確信する。中年の技はそのままフェンスを越えて、2,3メートル右の通路へ着弾!! 本日、3本目のホームランは、勝利に直結する貴重な一発となった。
(以上3本のホームラン軌道は、下の“ホームランの軌跡”をご参照ください)
南観音にある従兄の家に着いた頃には、22時を回っていた。何十年ぶりかに会った彼は、原水協や全逓の中国地方の役員をしていた時の姿はすっかり消えて、穏やかな従兄に変貌していた。
話す声の大きさは、当時身についたものだそうで、昔のままだった。聴力は少し落ちたようだったが、それでも思い出話で楽しいひと時を過ごすことができた。
次の日(9日)、やはり雨である。遅かった朝食の後、少し談笑して、近くのバス停から広島駅に向かった頃には、10時も過ぎていた。昭和26年夏、この地(南観音)で初めて、プロ野球の試合を見ていたことを思い出しながら、駅までの30分を過ごせたのも、よい思い出になった。
この日も山口~広島間は、朝から10時頃まで新幹線は不通だった!!! しかし、予定通りに、14時過ぎには帰宅できていた。
<観戦席とホームランの軌跡>
7月8日応援席立ち位置
長野のホームランは
無人空間だった!!!
ホームランボールの行方は???
3本のホームランの軌道は・・・
4人の応援位置(白い△印)
2回表・DeNAの桑原のホームラン(青い軌道)
2回裏・カープ・林のホームラン
バックスクリーン(赤い軌道)
8回裏・カープ・長野のホームラン
われら応援席のすぐ右(赤い軌道)
「2021年夏・カープ観戦記」 完
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